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八村平一
橋矢田経然の弟子の一人で、
唯一、橋矢田鎧の全理論を理解していた人物。
大正5年に徳舜瞥鉱山が見つかって以降は
原石の入手が容易になったこともあり、
橋矢田鎧と同等の新世代軽鎧の
生産の陣頭指揮をとり、
量産に勤めたほか、
自らのオリジナル鎧も製作していた。
「変幻式鎧(後の装甲侍)」の研究が始まった
大正四年からは新機軸の鎧の製作に
ともに研究にいそしんだ。
八村平一の代表的な作品は
「八村倉龍」「八村韋駄天」など。
数ある装甲侍の製作技術の一つ、
玄朱鉱「単細線」を考案したのは彼である。
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