橋矢田経然
装甲侍を作り出した伝説的な天才鍛冶屋。
徳舜瞥鉱山で採掘された鉄鉱石を
ヒヒイロカネに精製する技術を発見し、
またそのヒヒイロカネの特性を調べ、
その利用法を開拓した。
学業に対する意欲と
新しいことに挑戦するバイタリティーを
兼ね備えた人物だった。
初代千代巫女とも親しく、
火野村幻十郎とも深い交流があった。
最も古い物では明治30年頃に鍬を作った記録や
鍋を造ったと言う記録がある。
優徳(徳舜瞥村のさらに古い地名。)で
ヒグマやニホンオオカミといった野生獣から開拓者の身を守る目的で
軽鎧を製作したのを発端に
数多くの鎧を製作して行く。
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橋矢田経然がヒヒイロカネを精製する事に成功した
明治後半には札幌にも小樽にも電話局が完備され、
外国からの科学知識を入手することもできるようになっていた。
大正元年、茶目二衛門の手配によって馬を借り受けた
橋矢田経然は八村平一をお供に札幌へ赴き
最新文献を読みあさった。
その際に初めて、自分が精製した金属が
ヒヒイロカネに該当する事を確信した。
その後、試験鎧「羅」の製作が失敗に終わり大正6年に技術研究に行き詰り
大正6年に技術研究に行き詰った彼が再び
変幻する鎧の研究を再開した背景には
千代巫女の初代巫女、「千代那由他」の存在があった・・・
装甲侍豆知識: ヒヒイロカネとはB
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