試作鎧・羅(騾)
「新世代軽鎧」と「変幻式鎧(後の装甲侍)」の過渡期にあった
試作鎧。
橋矢田経然が精製したヒヒイロカネの特性を分析した
橋矢田経然は、その特性を最大限に活かせば
「変幻」する鎧が造れると考え、実験したもの。
複数作られたが、全て失敗に終わった。
「変幻」とは、「変身する」ということで、
霊力を記憶するヒヒイロカネが
記憶された霊力と共鳴した際に
共鳴者がヒヒイロカネと接触状態にある場合に
共鳴者の意思に従い移動しようとする性質を
発見した。
この性質を最大限に活かせば
共鳴したヒヒイロカネ製の全パーツが
予め設定された形に移動してくる=変幻する
と考えたのである。
しかしそれは失敗に終わった。
最大の理由は、共鳴して移動するのは
ヒヒイロカネを使った合金のみであり、
パーツを繋ぐ組紐や衣類は変幻してこないからである。
また、この頃の鎧は全て単層構造であったことも
失敗の原因であった。
後に、大正6年、ヒヒイロカネを使った糸が開発され、
鎧の全パーツを確実に変幻させることに成功し、
変幻式鎧(装甲侍)の実現に繋がった。
初期橋矢田鎧
近隣からの受注品の橋矢田鎧
試作鎧「羅」
橋矢田経然の弟子による鎧
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装甲侍豆知識
「羅」と「騾」
試作鎧「ラ」には表記がふたつあり、
「羅」と「騾」の場合がある。
「ラ」はヒヒイロカネの特性である
「霊力の記憶」と「霊力の共鳴」の
可能性を実験するために作られたもので
最初からこのまま量産する気は無かった。
そのため、
子孫を残すことのできない一代生物の
「騾馬(馬とロバの相の子)」から
「騾」と名づけられた。
「騾」の実験目的は
「変幻(変身機能)」だったが、
失敗に終わった。
しかし、変幻機能は無いが鎧としては
充分な機能を備えており、
この実験で被験者として参加した
当時の検備違使で「鎧羅」の職にあった
安齋雪衛門が本鎧の買取を申し出た。
その経緯から、
「騾」は「羅」と改められた。
古い記録では「騾」と記されていることが多い。
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