八村蒼龍
橋矢田経然が変幻式鎧(後の装甲侍)に着手したのは
大正4年以降、いくつかの失敗を経て第一の変幻式鎧が
完成したのは大正7年3月のことである。
その間に橋矢田経然の使用人として、最も才覚を発揮したのが
八村平一で、
信頼が篤かった彼は装甲侍の製作時に大量に余る
溶鉱炉内のヒヒイロカネ合金(玄朱鉱)の処分を
任されていた。
言い換えるとそれは「余った合金で好きに鎧を造って良い」
ということであった。
第三の変幻式鎧が制作されたとき、
八村平一は初めて独自ブランドの鎧を製作した。
第三の装甲侍「嵐魔」の余剰材料で作られたその鎧は
「嵐魔」と同じ青い発色を持つことから
「八村蒼龍」と名づけられた。
初のオリジナル作ということもあってか、
完成した八村蒼龍は10体以上造られているが、
小出しに売却されたようで、全て特注扱いでの
販売だったらしい。
八村平一の作った鎧
八村鎧・壱型〜参型
八村蒼龍
八村韋駄天
初期橋矢田鎧
近隣からの受注品の橋矢田鎧
試作鎧「羅」
橋矢田経然の弟子による鎧
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第七話に登場する 八村蒼龍。 手にしている槍もまた ヒヒイロカネ製らしい。 この固体では翼型の前立てが付いている。 この固体は、第二話で鎧羅に発生した 「共鳴同期現象」が起きた。
共鳴同期現象とは、装甲侍の「変幻」に付随する現象で、 霊力の共鳴した肉体が完全に意識と生命を失った後に ヒヒイロカネ(の鎧)と一緒に空間を超えてしまう現象である。
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