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装甲侍我陰遮
装甲侍として最初の成功作。
しかし、ヒヒイロカネを使った合金玄朱鉱の精製がまだ未成熟のため
いろいろと問題点が残った。
肩の装甲板「袖」が左にしか無いのは、右側の袖の玄朱鉱の精製度が甘く、 「変幻」させられなかったためである。
「変幻」とは現代風に言うと「変身」のことで、
空間を超える現象はヒヒイロカネによる合金のみの現象であるため
ヒヒイロカネの精製度と、それを主体とした合金の
混合する金属の割合が大きく左右するため、
それらの条件が手探りであった当時、
確実に「変幻」させるには何度も実験を繰り返すしかなかった。
また、この鎧が作られた当時、大滝を含む有珠山周辺の町々では
流行り病で出先で亡くなられる人々が多く、
死んだ人々が数日後に「怨霊」となって帰ってくるという
事件が多発していたため、
これら怨霊たちを土に還す巫女に替わる先導者となった。
時に大正7年のことである。
その時代背景から、この鎧は
「我、陰を遮る者」=「我陰遮」と名づけられた。
なお、当時は「装甲侍」とは呼ばず、しかしながら
それまでの鎧武者に比べて格段に軽く機動性が高く
絶対的な防御力を持っていたこの鎧を
誰とも無く
「鉄甲侍」と呼んだ。
最初の装着者は製作者である橋矢田経然自身で、
その1年余りあと、「検備違使」の一員であった
「比留間辰二郎」が着用した。次へ→
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装甲侍/第一の鎧
装甲侍/羅刹闍
装甲侍/第三の鎧
装甲侍/第四の鎧
装甲侍/無頼鬼怨
装甲侍/試作
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